訳 / 古川綾子
発行 / 亜紀書房
2023年8月26日 第1版第1刷発行
四六判 / 256頁
「さて、エディ。こう呼ばれたいなって思う名前はあるの?」
「アシュリー」
本当はそんな名前、考えたこともなかった。<自分は男じゃないらしい>という認識は、<どうも女性のようだ>とは直結していなかったからだ。
——エディ、あるいはアシュリー / p39より
私はがらんとした家にぼんやり座っていた。彼らが言葉で空気をかき回していったから、静まり返った後の空虚な寂しさが久しぶりに吹き出していた。言葉が存在し、やがて消えていった空間は見知らぬ場所のようで、自分の家じゃないみたいだった。
唐突に柱時計が九回鳴った。思い出したときにぜんまいを巻くようにしていたから、いつでも好きなときに鳴る、私のように孤独で適度に狂っている時計だった。
——へその唇、噛みつく歯 / p175より
現実の重力と想像力の浮力の狭間で分裂した時期を過ごしていることが。中年に差しかかり、遅い結婚と高齢出産で人生二度目の疾風怒濤の時間に見舞われました。軽やかだった日常が複雑な行程へと変わり、子どもは圧倒的にかわいかったです。この小さく愛すべき教皇が、私のペンを打ち負かすのではないかと不安に震えていたのですが、幸いにも上の子は下の子を憎んだりしませんでした。上の子、つまり私の書いた文章は子どもを憎まなかったし、下の子、つまり娘は書くことのほうがいまだに優先されるときもあると納得してくれました。
——あとがき / p241より
性の多様性。移民。失われた日々。喪失。再生。暴力……。
どこにでもあるリアルな世界を、時を越え、現実と幻想とを自由に行き来しながら、未来と希望を信じて描いた短編集。ジェンダー・アイデンティティの不確かさを自らに問いかける表題作「エディ、あるいはアシュリー」、第63回現代文学賞受賞作「相続」など8作品を収録。
避けようのない過酷な現実と、その先にある柔らかな希望……。韓国ファンタジー界の旗手が織りなす物語のタペストリー8編。
(亜紀書房のサイトより)
[目次]
レオニー
エディ、あるいはアシュリー
海馬と扁桃体
正常人
木の追撃者 ドン・サパテロの冒険
へその唇、嚙みつく歯
相続
メイゼル
あとがき
訳者あとがき