shushulina publishing
2021年10月28日 1刷発行
A5判(148mm x 210mm) / 144頁
くつくつくつ、
幻覚からさめた私の神秘的な日常が、目に見える形となって私の前に、ある。
漆黒のコーヒーが温まったのを待ち、お店のお父さんが陶製のカップに分けて注いでいる。毎日まいにちキッチンでコーヒーをいれ続けている人がここにいる。その人のいれるコーヒーの黒さがきらきらと光って自分に迫ってくる。霊力を捨て去った社会が注意深く排除するのはぐらぐらと揺れる幻のほうではなく、むしろその幻から覚めた後のこのきらきらとする日常の方なのではなかろうか、
「喫茶ウェリントン」p.29より
あの時のあの星の奇麗さを語る人はとても多く、であればあの星の奇麗さに感動した人の数はもっと多いことに違いない。それなのにどうして人はあの星の輝きを消すための生活をまたしつこく始めなくてはならないのだろうか、ということを思うけれど、家に電気が戻ってきて照らされたのは他でもない私自身の生活だった。
「星日月」p.44より
冬の、雪に浮かぶ山小屋の居間で、私たちはそれぞれがそれぞれのことをしているのを互いに、そっと、していた。ひと足ベランダに出れば、空が水面に薄く張った氷の底のように青色く光っているのが見えた。それが見えるのを知っている私たちは家の内部にいながらも、水に浸され、乱反射する光の中をつぶつぶほどの大きさになってたゆたっていた。
「みずろく」p.80より
栃木県益子町による季刊誌「ミチカケ」に連載された「土と土が出会うところ」。
加筆修正のうえ、著者である町田泰彦さんの絵と写真をともなって、一冊の本になりました。
静謐な文体で綴られる、エッセイであり、小説でもあるような短編集です。
河口、喫茶店、森のなか、庭師の庭、冬の山小屋、ウェリントン、南相馬、益子、遠野——
ここに描かれるそうした場所は、知っていたはずの姿より、ずっと美しく、深みがあります。
白湯のように静かにじんわりと染み渡る、この滋味深い文章のなかに、いつまでも、とっぷりと浸かっていたくなります。
けっして急がず、ひと文字ずつよく味わって、夜ごとゆっくりと読みたい一冊です。
目次
Ⅰ 水と水が出会うところ
Ⅱ 喫茶ウェリントン
Ⅲ 星日月
Ⅳ ポポウのみた夢
Ⅴ いつもの場所
Ⅵ みずろく
Ⅶ 黒猫のようなもの 白猫のようなもの
あとがき