酒井功雄 / saki・sohee / 編集・翻訳
B6判(128mm×182mm) / 94頁
日本、東アジアにおいて、どのように植民地主義を語ることが出来るのか。
日本の特殊な歴史的、文化的、構造的な植民地主義は、顔を変えて現代でも継続しています。それは西洋文化や帝国主義を内面化すると共に、様々な地域や人々、多様な存在を周縁化し差別しながらも、日本という国家に同化することを求めます。そうして土地と人々の身体の支配を行ってきました。植民地主義の問題は、(…)発展支援という言葉へと姿を変えながら、旧植民地・支配地域、その人々の生を搾取する構造として今日も続いています。
——はじめに / p3より
先住民フェミニズムやオートエスノグラフィなどの言葉を使っているので、その中に深い考えが行われていると思われがちなのですが、実際にはもっと戦略的な意味を込めてその言葉たちを使っています。
私は研究のために研究しているのではなく、あくまで現実を変えるための研究をしています。その上で、アクティビズムとして「先住民フェミニズム」についても語っています。
——アイヌと脱/植民地化:記号化と消費に抗うには
/ p61より
コスメティックな消費にならないためにという点では、何でもかんでも「脱植民地化」と呼ぶことは問題であると思います。私は「脱植民地化/脱植民化(※)」という言葉を使いますが、これは元々はColonize(植民地化)をde(否定)するわけですから、植民地化や植民地支配の問題です。
それは日本でいうアイヌや沖縄、在日の人々、旧植民地の問題です。それを教育や気候変動の脱植民地化のような表現で語られると、問題がすり替えられているように思います。
——アイヌと脱/植民地化:記号化と消費に抗うには
/ p76より
今日の日本社会では、アイヌの人びとや文化を、SDGs推進やダイバーシティ・環境問題への取り組みの中で記号化・商品化し、市場において消費する植民地主義的構造が存在しています。
消費はマーケットの中のみならず、アイヌ文化や伝統を学術的や知的に考え論じる際にも、歴史的な差別や植民地主義による貧困、そしてその中でアイヌの人びとの身体が傷つけられ命が失われた事実を見過ごし、思想としてアイヌを消費してしまうことにも及びます。
また、植民地主義について考える際に、殖民者/被植民者、当事者/非当事者、加害者/被害者といった二元論的なフレームワークで語ることにより、その二元論から抜け落ちてしまう人びとの生や複雑な現実が不可視化されてしまいます。
「アイヌと脱/植民地化」と題したVol. 3では、北海道大学 アイヌ・先住民研究センター准教授で自身もアイヌの出自を持つ人類学者の石原真衣さんとともに、どのようにして記号化や消費に抗い、二元論的な構造に当てはまらない現実における脱植民地化を考えうるか、ということについて思考していきます。
(Decolonize Futuresサイトより)
[目次]
はじめに
ZINEのモットー
Vol.3「アイヌと脱/植民地化」について
アイヌと脱/植民地化:記号化と消費に抗うには
おわりに
次回予告