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傷つきやすさと傷つけやすさ / 村上靖彦

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発行 / KADOKAWA 2025年5月21日 初版発行 四六変 / 240頁 管理と効率からケアを解放する ケアを管理と競争から解放し、「生きるスペース」を見出すにはどうしたらよいのか。ある男性研究者が、自らを振り返り自身の「傷つけやすさ」に向き合って書いた、『ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと』(中公新書)の続編のような立ち位置にある1冊。 「私たちは傷つきやすい存在であると同時に、人を傷つける存在でもあり、ケアをする存在でもあると同時につねにケアを受け取る存在でもある。」 「今までの僕は卓越した支援者から学んだケアを描くことが多かった。本書では僕自身の傷つけやすさ、そしてケアにおけるネガティブな場面も考慮したうえで、ケアし合う社会と生きやすい空間を考えていきたい。」 「目の前の人がどのような世界構造のなかに置かれているのか理解することは非常に難しい。僕が自明とする世界の枠組みからその人は排除されているがゆえに、その人に説明してもらうしかない。説明してもらってもわからないかもしれない。ところがそもそも説明してもらうこと自体がその人を傷つける。」 ●人間は相互に依存し合うと同時に、傷つけあってしまう ●なぜケアは家庭と施設に閉じ込められたのか ●自分の小さな願いごとから始める (KADOKAWAのサイトより) 人は傷つきやすい存在だが、他の人を傷つけることもある。傷つきやすさ(ヴァルネラビリティ)は頻繁に議論に上るようになったが、人が誰でももっている<傷つけやすさ>についてはどうだろうか。ヘイトスピーチに見られるようなあからさまな悪意はもちろん深刻だが、本書で考えていきたいのはむしろ自覚せずに相手を傷つけてしまうことだ。人間の弱さだけでなく、人を傷つけてしまうという側面も考慮しながらケアを考えていく視点を新たに提案したい。 ——はじめに / p6より 資本主義は資源を収奪することで資本の集積を果たした。一つは女性のケア労働の搾取であり、もう一つは植民地の資源と労働力の収奪である。女性のケア労働が問われるのだったら植民地の人たちからの収奪も問われるはずだ。 ——第2章 プロのケアのなかのネガティブな出来事 / p103より 孤立はほぼ必ず強いられた孤立である。声を出しているのに声を聴かれていない。無視されているのが孤立である。「孤立した」のではなく「孤立に追いやられた」のだ。声を聴かれないことは、存在を蝕む傷つきの最たるものだ。 好んで独りでいることを選んだとしたら、それは孤独であって孤立ではない。「孤独を愛する」と言いうる人は、十分にケアを受けているがゆえに独りでいることを楽しめる。ひとりぼっちでいることを楽しむ余裕をもつためには、安定した生活が保証され、自分を支えてくれる人がいることが必要だ。 ——第4章 孤立と〈かすかなSOS へのアンテナ〉 / p159より [目次] はじめに 傷つきやすさと傷つけやすさ 序章 第1章 家族ケアに忍び込む暴力  第2章 プロのケアのなかのネガティブな出来事  第3章 ケアを管理から解放する  第4章 孤立と〈かすかなSOS へのアンテナ〉 第5章 生きのびるためのミクロな実践 おわりに 二つの対話、いくつもの対話 参考文献

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