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遠くからでも光ってみえる きんからきん日記① / のもとしゅうへい

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発行 / のもとしゅうへい 2025年8月9日 初版発行 A6判 / 200頁 2024年6月14日(金)〜 2025年6月13日(金)までの日記を本にしたものです。 ページの隙間に小さな挿絵もしのばせました。 きんからきん日記、という名前は自分でつけました。書きはじめたのがたまたま金曜日だったのです。金曜日から、そのまた次の金曜日まで、一週間ぶんの生活をざっくりここへほじくり出して置いておく。そんな小さな習慣から名付けられた日記です。それほどまめな日記でも、活発な日記でもありませんが、書いておかないと忘れてしまいそうなもの、自分の周りをころころと転がっていくものをここに集めています。あまりがんばりません。 (著者のサイトより) この間、水道水を眺めていて、地球にある大部分の海の水が蒸発して雲になって、その雨雲が山の上で降らせた雨が地表や地下を移動して、こんな小さな住宅の飲み水としてコップの底に注がれている様子を黙って想像して、この世の水は使い回されているという事実に遅れて気がつき、驚いてしまった。この水の使い回され方の様子は、人々の間を移動する言葉の行き来と似たものに思える。言葉は、結局のところ生活に戻ってくる。 丁寧な生活が良いという思いよりは、どのくらい丁寧にやるかというさじ加減を自分で決められるのが生活の良いところだとこの頃は思う。 ——8月17日(土) / p52より この詩集を手に取る人がどんな身なりをして町に住み、どんなことに怒り、どんな気分でどんな時に全力で走ったりするような人たちなのか、ほとんど自分にはわからない。自分が知ることのない人にとって、一冊の詩集というのは何なのか、時々考えたりもする。〈この薄い詩集に書いてあることはあまりよくわからないけれど、こんな場所にこんな風に身を置きながら生きていて、この詩へ言葉を向かわせた人がいる〉という通り雨のような記憶を、自分は見知らぬ生活の隙間へ、配りたいだけなのかもしれない。 ——9月27日(金) / p74より 久しぶりに100%の散歩をしようと思い立ち、昼過ぎに一時間ほどしっかり歩く。100%の散歩とは、〈特別な目的をもたずに気の向くままに歩き回るための時間が100%を占める営み〉のことを指し、何かのついでにちょっと遠回りしてみましたとか、一駅分歩いてみようという散歩とはまた少し異なる競技性を有すると勝手に思っているのですが、できればスマホを自宅に置き、家の鍵だけ携帯して、天気の良い昼間の街路を100%で散歩してみてください。何ともいえない固有の気分が味わえます。 ——12月27日(金) / p123より

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