発行 / 作品社
2025年6月25日 初版第1刷発行
四六判 / 328頁
「みんなちがって、みんないい」とは、いかなることでありうるのか?最注目の俊英による人類学的考察。
■國分功一郎(哲学者)
「かつて、多くの者たちがその問いについて悩んでいた。だが、あきらめずに最後まで考えようとする者は少なかった。いま、あきらめずに考え続けた者たちからの贈りものがここに一冊の書物として現れる。現代の隘路から決して目をそらさなかった著者による渾身の一冊。」
■松村圭一郎(人類学者)
「文化相対主義は、なぜ人類学のテーゼではなくなったのか? 人類の多様性という視点に潜む矛盾はどう克服できるのか? 本書は、ポストモダン人類学から存在論的転回までの歩みを独自に転回しなおすことで、人類学者自身も言語化してこなかった難問に挑む。現代人類学がたどりついた理論的地平の最前線がここにある。」
SNSを中心に多様性の尊重が規範化された現代社会で、私たちは「多様性による統治」という新たな不自由を獲得しつつある——バラバラな世界をバラバラなまま繋げるための思考はどのように可能なのだろうか?
多様性批判の学として人類学を捉え直し、二〇世紀末からポストモダン人類学にいたる軌跡をたどり、二一世紀に提唱された存在論的転回までの学問的潮流を再考したうえで、「転回」のやりなおしとして「内在的多様性批判」を提示し、私たちにとって多様性というものがいかなるものであり、いかなるものでありうるかを思考する。
(作品社のサイトより)
もちろん、スペルベルとギアツのどちらが正しかったのかを判定することはここでの目的ではないし、彼らの噛み合っているとは言いがたい論争をどう評価するかは意見の分かれるところだろう。ここで強調されるべきは、このギアツの良くも悪くも魅力的なアジテーションにおいて、人類の倫理的/認知的な単一性に依拠する反相対主義と多様な文化的事象の解釈を重視する反=反相対主義のどちらに同意するにせよ、両者が相いれない立場であることが動かし難い事実として語られた、ということである。
——第2章 「私たち」の危機 / p62より
ストラザーンの言い分はいかにも奇妙である。構造主義人類学や「除去-顕在化」分析という方法論がすでに存在するのであれば、最初からそれらを利用できたはずではないか。
——第5章 関係としての社会——ジェル×ストラザーン / p197より
「私たち=近代人」を他者(彼ら)としてみなすという、変則的な正面的比較を基盤としているからである。「私たちが近代人であったことは一度もなかった」という主張もまた、自然と社会の純化を前提とする近代諸学に従事する研究者としての私たちを、特定の方向性を持った諸アクターの翻訳に関わる生活者としての私たちにとっての異質な他者としてみなすことを可能にする効果を持つ。
——第7章 「転回」をやりなおす / p276より
[目次]
序論 このバラバラな世界をバラバラなままつなぐために
第1章 「彼ら」の誕生
第2章 「私たち」の危機
第3章 ポストモダンを超えて——ラトゥール×ストラザーン
第4章 創作としての文化——ギアツ×ワグナー
第5章 関係としての社会——ジェル×ストラザーン
第6章 多なる自然——デスコラ×ヴィヴェイロス・デ・カストロ
第7章 「転回」をやりなおす
あとがき
注/参照文献/索引