訳者 / 北條文緒
発行 / みすず書房
2003年7月8日 第1刷発行
四六判 / 168頁
現代社会における際だった特徴は、世界中で起こっている悲惨事を目にする機会が無数に存在するということである。戦争やテロなど、残虐な行為を撮った映像はテレビやコンピューターの画面を通して日常茶飯事となった。
しかし、それらを見る人々の現実認識はそうしたイメージの連続によってよい方向へ、例えば、戦争反対の方向へと変化するだろうか?
本書は、戦争の現実を歪曲するメディアや紛争を表面的にしか判断しない専門家への鋭い批判であると同時に、現代における写真=映像の有効性を真摯に追究した最新の〈写真論〉でもある。
自らの戦場体験を踏まえながら論を進めるなかで、ソンタグは、ゴヤの「戦争の惨禍」からヴァージニア・ウルフ、クリミア戦争からナチの強制収容所やイスラエルとパレスチナ、そして2001年9月11日のテロまでを呼び出し、写真のもつ価値と限界を検証してゆく。
さらに本書は戦争やテロと人間の本質、同情の意味と限界、さらに良心の責務に関しても熟考をわれわれに迫る、きわめて現代的な一冊である。
(大月書店のサイトより)
どこかで起きている特定の戦争において人々が苦しんでいるという意識は、構築されたものである。主としてカメラに記録される姿のなかで、その苦しみは燃え上がり、多くの人々に共有され、視野から消えてゆく。書かれた記録は、思考、言及、語彙の複雑さに応じて、大勢のあるいは少人数の読者に向けられるが、それと対照的に写真には一つの言語しかなく、潜在的にすべての人々に向けられている。
——他者の苦痛へのまなざし / p19より
このサイバーモデルの時代においてさえ、心は古代の人々が想像したように、劇場に似た一つの内なる空間だと感じられる。そこでわれわれはイメージを描き、そのイメージがわれわれに記憶させる。問題は人々が写真をとおして記憶することではなく、写真のみを記憶することである。写真をとおしての記憶は、理解と記憶の他の形式を影の薄い存在にする。収容所、つまり1945年に解放されたときに撮られた収容所の写真は、人々がナチスと、第二次大戦の悲惨について思い起こす内容の大部分をなしている。
——他者の苦痛へのまなざし / p87より
つまり写真にも罠があり、報道写真のもつ直接性は双方向に作用する。戦争写真においては、撮る人間が事件の現場に居合わせることが大きな意味をもつのだが、眺める者の側からすれば、彼らは安全な場所に身を置いて、遠い土地の他国の悲惨や苦しみを目撃することになる。写真ないしテレビの映像を見て衝撃を受け、不正に憤る。しかし同時に進行しているのは、映像というかたちの現実と、なまの現実とのすりかえである。解釈によって芸術が飼い慣らされたように、映像によって現実が飼い慣らされる。
——訳者あとがき / p149より
[目次]
他者の苦痛へのまなざし
謝辞
原注
訳注
訳者あとがき