other
発行 / 筑摩書房
2026年2月10日 初版第一刷発行
新書判 / 176頁
生きづらさに満ちた社会で、資本主義の価値観に縛られず多様なありかたを模索する。都市と山村を行き来して考えた、自分が心地よく生きるための方法とは。
お金になりにくい文化や教育的営みは役に立たないのか? 資本主義的な都市とそこから離れた山村の二つの場所を行き来しながら、自分の感覚にしっくりくる言葉や表現を磨き、自分らしく生きるための道筋を探っていく——。他人の評価や市場のものさしにとらわれず、自分だけの生き方をみつけよう。私たちが抱える「生きづらさ」から抜け出してちょうどよく生きるためにどうすればいいのか。現代を生きる私たちがどうすれば人間らしく暮らせるのか、自分に合った答えを見つけるためのヒントがここにある。
(筑摩書房のサイトより)
さて、「脆弱さ」について考えを深めると、それは「資本の原理によって社会が一つに統一されている状態」だと気づきます。ここで誤解してほしくないのは、僕は資本主義そのものを悪だと決めつけているわけではないということです。そうではなく、どんなに優れた原理であっても、それ一色に社会を染め上げてしまうことが危険なのです。これは一種の「原理主義」と呼ぶことができるでしょう。どれほど良い思想や理念であっても、多様性を奪い、唯一の原理に従わせてしまうことには注意を払わねばなりません。
——第一章 僕たちが山村に越して分かったこと / p32より
このようにルチャ・リブロは僕たち自身の必要から生まれた活動であり、誰かに依頼されて始めたものではありません。しかし続けるうちに、僕たち自身の暮らしを整える行為になっていきました。開館日のたびに部屋を掃除し、庭を整え、間に合うように起き、着替える。(…)この循環そのものが僕たちの生活や心身を安定させていきました。このような意味でルチャ・リブロは本当に自分たちのためにやっていることをひらいているだけなのです。
——第三章 働くとはなにか / p98より
つまり僕たちは、社会的存在としての他者ニーズに基づく社会的平等と、生き物としての自己ニーズに基づく差異の二つの原理を往復しながら生きていくしかない、そんなふうに僕は思っています。どちらか一方に偏れば社会は硬直し、個人は息苦しくなります。この「行ったり来たり」が失われた極端な状態の例こそ、戦時下の社会です。戦争中、人々は自己ニーズを完全に封じられ、国家への奉仕という他者ニーズだけが求められました。「役に立つか、立たないか」という尺度が唯一の価値基準となり、そこから外れる者は排除されるのです。
——第五章 尊厳を認め合いながら生きるには / p154より
[目次]
はじめに
第一章 僕たちが山村に越して分かったこと
第二章 社会全体を学びの場としてとらえる
第三章 働くとはなにか
第四章 数値化できないものについて語る
第五章 尊厳を認め合いながら生きるには
おわりに
参考文献