rn press
2024年9月23日 初版第1刷発行
四六判(128mm×188mm) / 344頁
わたしはなにでもなくここに発生して、だいたいの時間を混乱しながら過ごしてきた。
わたしにとってなにでもないということは、けっして人前には現れない、けれどしっかりと握りしめている必要のある、透明な石のようなものだった。そしてそれを、だいじにしていてすみません、捨てられなくてすみませんと、背中をまるめていなくてはいけない事実だった。
——本書 p5より
わたしはどうしようもないよろこびが押しよせてきて、ベッドから勢いよく起き上がると、彼をぎゅっと抱きしめた。ママって言えたね。ママだったんだもんね。よかったよかった、と言いながら、涙がどばどば出てきた。身体が礼さんになったみたいだった。
ああいう瞬間を忘れたらいけないと思うのに、ついケンカしてぶったりしなきゃよかった。あのときの自分たちには仕方がなかったにせよ、ばかみたい。戦争もすべてやめてください。
——本書 p111より
九十二年にも及ぶ祖父の生涯を、未熟者のわたくしが、ごく短い文章に圧縮してつたえることは、到底むずかしいと思います。
ですが、わたくしは、ふうん、ただのおじいさんが九十二年も生きて、死んだんだね、などと、単純に彼の存在や死を捉えて欲しくないのです。もちろんわたくしも、よそ様のおじいさんが亡くなったと聞いても、そうですか、くらいにしか思いません。先日など、エリザベス女王の訃報が一面に載った新聞で、犬のおしっこを拭きました。
どんな偉大な人物の死も、他人の暮らしを、直接的に揺さぶることはできません。けれどわたくしは、それでも尚、自分のおじいちゃんだけは、特別で、かわいくて、愛おしい存在だったのだと信じ、ここに刻み込んでおかずにいられないのです。
——本書 p270より
ちいさいけどおおきくて
おおきいけどちいさい、
わたしたちの「いのち」について。
少年アヤが本名である「松橋裕一郎」として
初めて書き下ろした「存在」の記録。
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祖父が亡くなるまでの1ヶ月。 家族と、恋人、そして戦争と、いのちに向き合った「存在」の記録。
高校時代から「少年アヤ」を名乗り、19歳で“オカマ“と自称して24歳でやめた。20代で同性のパートナーと生活を始め、30代にノンバイナリーを自認した。
祖父が亡くなるまでの1カ月間、恋人と家族、戦争といのちに向き合い、たどり着いたのは、自分は「なにでもない」ということ。
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(rn pressのサイトより)