編著 / 石原真衣
発行 / 青土社
2022年8月10日 第一刷発行
四六判 / 200頁
マイノリティと記号化について、斯界の気鋭たちが論じる。2021年10月に北海道大学 アイヌ・先住民研究センターで行われたシンポジウムの書籍化。
(青土社のサイトより)
まだ名づけられていない暴力をどのように可視化させるか、そして、アイヌ研究界隈——およびその周辺——の「ドメスティックバイオレンス」や他者表象の暴力性を可視化させ、いかに新しい風を吹き込むか、である。ここで提示される成果は、これからの日本のダイバーシティのあり方を考えていくうえで避けて通れない論点を多く含むだろう。
——まえがき / p8より
「すべての人が彩りを持つように」という石原さんの表現と、殖民者の透明性という点が重なっている。(…)
透明であるということは、見られる側にいるのではなく、見る側にいるということである。そして、目指されるべき日本や日本人の(そして近代性の)内実についての解釈権が宗主国の権力を持った日本人にある、手に握られているということだと私は考えている。帝国の拡大の中で、「日本」、「日本語」、「日本人」というものが問題になってくるわけであるが、それが標準的なもの、M・フーコーが言うところのノルムになっていったのではないかと思われる。この話には、日本人には「族」を付けず、殖民地の住民には「土人」や「族」の呼称、「原住民」の語を押し付けていくという、先ほどの非対称性の問題が重なってくる。つまり殖民者が被殖民側に、恣意的に色付けをしていくという権力性である。
——記号化される台湾先住民 / p69より
人間は弱く脆弱なものだと思う。ヒグマにもライオンにも、ひとりで丸腰ではたちうちできない。だからこそ、動物とは違う形で文化をつくり出してきた。高度で複雑に発達してしまった様々な「文化」は、人間は弱い、ということを人間が理解することを阻害している。われわれは人間が弱いということを認められないほど、弱さを飼いならす方法を失ってしまい、それは様々な暴力をうみ出している。
(…)
先住民や女性や子どもが記号化されることには、とても複雑な歴史的、社会的、政治経済的背景がある。この問題を今後深く思索していくことで、ダイバーシティ推進の時代の問題点を明るみに出すのみならず、人類が様々な形で抱えている問題についても新たな視点を提供できるだろう。せっかくだから、自分が安心できる世界に閉じこもっていないで、少しだけ居心地の悪さも感じながらどんどんつながり合っていきたい。そのつながりは安っぽくて薄っぺらい「連帯」や「共生」や「ダイバーシティ」をもっと素敵なものに作り変えていくだろう。
——あとがき / p192-194より
[目次]
まえがき
神秘と癒し(北原モコットゥナシ)
記号化される台湾先住民(中村平)
記号化による文化遺産の植民地化(加藤博文)
フィクションの暴力とジェンダー(内藤千珠子)
記号が照らすすき間、記号を逃れる本人(村上靖彦)
先住民という記号(石原真衣)
あとがき