著者 / 植本一子・滝口悠生
発行 / 筑摩書房
2024年2月10日 第一刷発行
A6判 / 256頁
ひとりだから、できること
ひとりをおそれる写真家と、
子どもが生まれた小説家による
10往復の手紙のやりとり。
「折々のことば」にも取り上げられた自主制作本を文庫化。母のこと、子どものこと、文章を書くこと、社会のこと、戦争のこと、過ぎ去った日々のこと。
近所に住む写真家と小説家が、ときに応答しながら、親密な手紙を交わす。気持ちよい正直さと、心地よい逡巡にあふれるやりとりが、いつしか読者の記憶を掘り起こしていく。完売した自主制作本に、あらたな2往復のやりとりを加える。
自主制作版解説 武田砂鉄
文庫版解説 O JUN
(筑摩書房のサイトより)
小説は、事前に書きたいと思っていたことを書けるものではなく、事前に書こうとしていなかったことが書けるもの、というのがこれまで小説を書いてきたなかで手元にある唯一の経験則らしきものであり、小説観みたいなものです。
(…)
そんなふうに、小説は自分の思うようにならないもの、というふうに思いつつ、それでもまたそのうちに新しい小説を書けたらいいな、とは漠然と思うし、具体的になにを書くかはまだ決まっていなくても、小説でなくては書かれえなかった場面を書けたらいいな、ということは思うもので、書いてなくてもそういうふうに思うものだなー、とこの年末年始は夜中に娘のミルクのお湯を沸かしたりしながらぼーっと思っていました。
——一子さんへ 思うようにならないこと / p33より
私はどうやら言葉を言葉通りに受け取りすぎるところがあるようで、いつもそこでつまずいています。相手が言ったあれこれを、自分の中の貧相な辞書に当てはめるのです。そこには自分が知る・思う意味しか書かれていないので、相手の真意というのはわかりません。でも、言葉という「確か」だと思っているものに頼ろうとして、それ以外を見ていない。人が態度で語っていることは案外多いよ、と友人が教えてくれたのですが、コロナ禍で人と対面で向き合うことも難しくなり、より言葉に頼る傾向が自分の中で強くなっているのかもしれません。かといって、面と向かってマスクさえ外せる相手との関係がスムーズかといえば、そっちの方が難しかったりします。
——滝口さんへ 最後に会ったのはいつですか
/ p111より
ああ、どこかでみんな、なんとかやっていてほしいなあ、と思う。それだけで十分だし、なんとかならなくなったら、時間をかけていいから、なんとかなってほしいなあと思う。無責任だけど、それなりに真摯な思いではあって、この、なんとかやっている、という状態しか、世の中を保つ方法はない。なんとかやっていて欲しいのだけれど、それこそ、冒頭に書いたように、なかなかそうもいかなくなったと聞いても、すぐには動けない。真摯な思いだけど、やっぱり無責任なのだ。
——それぞれなんとかやっていて(武田砂鉄) / p241より
[目次]
滝口さんへ 往復書簡をやりませんか?
一子さんへ 絵を習っていた話
滝口さんへ チャイルドシートを外した日
一子さんへ 思うようにならないこと
滝口さんへ 離ればなれになる道
一子さんへ 凡庸な感慨
滝口さんへ さびしさについて
一子さんへ 「み」の距離
滝口さんへ 誰かと一緒に生きること
一子さんへ 子どもの性別
滝口さんへ 最後に会ったのはいつですか
一子さんへ 家事について
滝口さんへ 母の言葉
一子さんへ 誰かに思い出される
滝口さんへ 誰かについて書くこと
一子さんへ ひとりになること
滝口さんへ いちこがんばれ
一子さんへ 愛は時間がかかる
滝口さんへ ひとりは、わるいものじゃないですね
一子さんへ 生活
それぞれなんとかやっていて(武田砂鉄)
解説 滝口さんと植本さんの手紙のこと(O JUN)