発行 / 七月堂
2023年6月9日 発行
A5変 / 116頁
七月堂50周年記念企画第一弾!
詩集『量』でH氏賞を受賞した髙塚謙太郎が、矛盾もひっくるめて真っ向から思考した記録。
2020年12月から2021年9月の間にnoteに連載し、また他の場所で発表したものをベースに書下ろしを収録。
noteに連載する際、ご自身で作ったルールは以下になります。
①出来るだけ週に1つ以上追加する。
②ナンバリングするが、連続性、関連性を意識しない。
③思いつきで書き、書いたものは1週間以上寝かせない。
本編の編集後、さまざまなわけがあってできた時間のなか、栞文を書下ろしていただきました。
詩を書くということとは。
詩を読むということとは。
ことばとは。
本文はもちろんのこと、ぜひ栞にも注目していただきたい一冊となりました。
(七月堂のサイトより)
詩を書くとは、いったいどのような出来事なのか。詩を読むとは、いったいどのような出来事なのか。これらの問いを前にしたとき、両者が縒り合わせられながら、一つのさらなる問いへと連絡されていくのがわかります。つまり、詩とは何か、という問いです。
——本書p3より
心を拾い上げると、詩になっていた。なかなか無視できない言いぶりだけれど、あまり相手にしたくない、そんな気分だけは忘れたくない。基本。
(…)
「心」、これが最も取り扱い易く、受け入れ易く、通常誰も反論できない、そんなガジェットだ。詩は、結果的にどのようにみえていようが、「心」を拾い上げたから浮かび上がってきたわけではない。もう少し別の装置が働いて浮上してきたはずだ(これまで既にその辺りのことは少しずつ書いてきた)。「私は、心を拾い上げることで、詩を書いてきた」という。この「心」には、本当はどんな言葉が入ってもいい。例えば「ひらがな」でもいいし、「名前」でもいいし、「景色」でもいい。
——3.20 / p45より
書く理由がほとんど見当たらなくなったところから、初めて詩は書かれ始める。というのも、書く理由は、書かれる前から既に書かれているため、書かれ始めることができない。すべての根拠を封じることが私たちには必要だ。そして、同時に、書くことの向かう目的をも必ず見失わなければならない。詩は、けっして、今を照らすものであってはならないし、人を救ってはならない。いや、この、ならない、という断定も認めがたい。そのような位置に、初めて、詩は、在る。在り始める。
——6.26 / p76より