発行 / palmbooks
2025年4月15日 発行
B6変 / 192頁
あんた、きっとうまいこといくで。
あんパンとクリームパンしか売っていないパン屋に、初子さんは下宿している。
生きることのままならなさを切実に、抜群のユーモアをもって描きだす『じゃむパンの日』の著者の原点にして、そのすべてが詰まった小説集。
文學界新人賞受賞デビュー作「初子さん」、傑作「うつつ・うつら」に 単行本初収録「まっ茶小路旅行店」を併録。
(palmbooksのサイトより)
あんパンとクリームパンしか売っていないパン屋に、初子さんは下宿している。店主が不器用であんパンとクリームパンしか焼けない。昭和五〇年代の京都といえども、それほどのどかなわけではない。あんパンとクリームパンだけで商売が成り立つのは、当時でも珍しい。薄らぼんやりとした店主は、時々パンの中身を間違えて作ってしまう。あんパンを買った人はそれをあんパンだと思って食べる。中からクリームが出てくる。あんパンとクリームパンしか売っていないのに、あんパンがあんパンでないことがある。クリームパンがあんパンの時がある。
——初子さん / p7より
鶴子はまたひとりに戻った。この日を待っていた。このぬるま湯の中で堪えるしかないとわかっていても、この日が鶴子は嬉しかった。今日はもしかしたらスカウトマンが来るかもしれない。来なくても、堪えられる。今までどおり、早乙女紅子になるために、劇場がどんなに重くても舞台に立つ。久しぶりにひとりで立つ舞台は重いだろう。何とか今日も一日この舞台の鈍さに堪える。
——うつつ・うつら / p106より
客が求める非日常は、その土地に今日も明日もずっと変わらずにある日常的な非日常である。プーケットやピピ島で被災した観光客があの青い海で期待していたのも、おなじ日常的な非日常である。ああ、ここはいつもこんなに平和で穏やかだと、あの人たちは約束された非日常を信じていた。自分の日常を忘れても、異国の地ではその日常がほしい。結局、誰も非日常など求めてはいない。咲嬉子は客のほしがる日常的な非日常を作り出す。咲嬉子の語る世界は全て蜃気楼である。今日、申し込みを受ける客の身の安全など保障できない。
——まっ茶小路旅行店 / p167より
[目次]
初子さん
うつつ・うつら
まっ茶小路旅行店